大阪のオバちゃんになりたい

やっと母親の退院の目処が立ち、
あと3〜4日で大阪に戻れそうで、
ホントに嬉しい。
やっぱり大阪が落ち着くわ〜〜。

私は大阪に住むオバはんであるが、
生粋の大阪のオバちゃんではない。

ヒョウ柄の服は持ってないし、
買い物のたびにディスカウント交渉はしない。
芸能人を見かけても肩をポンポンと叩かないし、
見ず知らずの人に飴ちゃんをあげない。

ものすご〜〜く人見知りで無愛想。
齢とともに偏屈さも増してきている。

なのに、かなりの高確率で道を聞かれる。
地元であろうが旅先であろうが
おかまいなしにバンバン聞かれる。
外国人にもドシドシ聞かれる。

30歳の時、旅行でニューヨークへ行った。
ぶらぶら歩いていると向こうから
私を目掛けて黒人のオバちゃんがやってきた。
手には地図を持ち、必死の形相で話しかけてくる。
道を聞かれてるなとは理解したけど、
なぜ❓
どう見ても東洋人❗️どっから見てもツーリスト❗️

英語も喋れずオタオタしている私を見て、
オバちゃんはチッ!と舌打ちして去って行った。

もうね、道を聞かれて何が嫌かというと、
何のお役にも立てない感が物凄く嫌。
きっと相手は「コイツに聞いたんが間違いやった。
時間の無駄や!」て思ってるよな〜〜と、
後々までグダグダと気になる。

無愛想で偏屈な割に、
めちゃくちゃ小心者なのである。

3週間程前も、こんなことがあった。
地下鉄の谷町六丁目駅で韓国人とおぼしき
二人組の女性に声をかけられた。
英語である。
どうやら京都に行きたいらしい。
手に持っているのは大阪地下鉄の路線図のみ。

困ったな〜〜。
地下鉄からどうやって京都へ送り込も?
天満橋駅から京阪電車に乗り換えるのと、
梅田に出て阪急電車に乗るのとふた通りあるが、
英語でよう説明できん。

駅員さんに強引にバトンを渡してその場を去ったけど、やっぱり役に立てないことが気になって気になって。

こんな時はつくづく生粋の大阪のオバちゃんが羨ましい。きっと英語なんか喋れんでも全然おかまいなしに道案内をしてくれるやろ。
「このトレインにゲットオン!ほんでセカンドステーションでゲットオフや!そこで京阪にチェンジ。ええか、け・い・は・ん、やで!あ、この飴ちゃん持って行き」

言葉や文化の壁を易々と越える、大阪のオバちゃんのコミュニケーション能力は世間でもよく知られている。
多少強引ではあるが、相手の懐に飛び込んでいく技は、一流の営業マンのようである。

私は長年大阪に住んでいながら、人と接するのが苦手で、コミ力を身につけようと努力をしなかった。
お陰でフリーランスの仕事は廃業に追い込まれてしまった。実力さえあれば仕事は黙っててもやって来ると自惚れていたが、そんなことが通用するのは本当に才能のある人だけである。


私も60歳。大阪のオバちゃんになるにはいいお年頃。自然界には天敵が存在しないと言われる大阪のオバちゃんが憑依したら、おひとり様の暮らしも怖いもんなしである。

手始めに、必須アイテムの飴をバッグに入れて、積極的に道案内してみようかしらん。

遠距離介護 実家に足止めをくらう

本来なら大阪に戻って機嫌よく暮らしているのに、
月曜日から93歳母が入院したので、
ド田舎の実家に足止めを食らわされている。

様々な事情でどうしても同居したくなくて、
毎週2泊3日で様子を見に帰っているが、
ついに来たか〜〜。

母親は6〜7年前から、毎年必ず入院している。
しかも毎回、命に関わるような状態で。

直近の3年だけでも、
敗血症ショック、心不全増悪、胆嚢破裂。
どうですか?凄いでしょ?
どれか一つでも90代には応えるはずやのに、
かなりの生命力やと思う。

胆嚢破裂の時は(胆嚢が破裂て、相当ヤバイ)先生から、明日死んでもおかしくないと言われ、
ほんなら葬式の準備もしとかなあかんなと、
銀行口座が凍結する前に葬式代を下ろしたのに、
復活してもうた!
この婆さん、妖怪ちゃうか?

そんな経験してるもんで、今回も慣れたもんですわ。
診てくれたのは初めて会う先生やったけど、
血液検査やレントゲンやCTや、
いろんな検査結果を見て即入院を言い渡された。

入院が長引くと長期間仕事を休まなあかん。
何の責任もないパートやけど、
あまり長い間やとクビになるかもしれん。
ちょうどいい具合に暇な職場やから
気に入ってたのになぁ。

そこで先生に入院は1週間くらいになりませんか?て聞いたら、

「あのね❗️検査結果、相当悪いの❗️いつまで入院かわかりません💢」て言われたけど、
そんなヤワなタマちゃいますねん、この婆さん。

案の定、今回も死にそうやったのに点滴で持ち直し、絶食が気に入らんみたいで空腹を訴えてます。

見事に復活しつつあるが、一年ごとにひと回り身体が縮んでいるみたいだし、足腰もガクンと弱ってきている。目も耳も相当悪い。

歳を取ると身体はこういう具合に変化していくんやなということがよくわかる。
それはもう坂道を転げ落ちるという表現通り、
凄いスピードで弱っていく。

でも、身体が弱るのと寿命とはまた別物らしい。人間には予め決められた寿命があり、その寿命が尽きるまでは何があっても死なないのかも。

自分の寿命があと何年か分かれば計画的に生きられるのに、5年先か、20年先か、30年先か、分からないのが悩ましい。

明日死ぬと思って今を生きよう。
永遠に生きると思って学ぼう。
これはマハトマ・ガンジーの言葉。

明日死ぬと思って今を生きるなら、
もうしたくない事は極力避けよう。
寿司はウニとトロだけ食おう。

偉人とはえらい違いやけど、
自分の気持ちに正直に生きていけたらいいな。

それと将来、大病をした時に
「寿命があるなら生き延びられる、
ジタバタしたってしゃあない」て諦観できたら理想やけどね。

おっさんは何処へ行った?

大阪には「天神橋筋商店街」という日本一長い商店街がある。

天神橋筋1丁目から7丁目まで、延々2.6キロメートル続くが、1丁目、2丁目と数字が上がるほどディープさを増し、5丁目辺りから、それはもうクッキリと様相が変わる。

 

私は今から30年ほど前、ディープさが最高潮となる天神橋筋6丁目、通称「天六」に住んでいた。

商店街から少し路地に入ると、いかにも”場末”という形容がぴったりのうらぶれたスナックや、ストリップ小屋があって、昭和のにおいがプンプンする、それはそれは楽しい地域であった。

 

昨日、久しぶりに会った友人と、この懐かしい天六へと出かけて来た。

待ち合わせは環状線天満駅

改札を出たあたりから、ん?なんか違和感が。

日曜日だからなのか、駅前にわらわらと若者が群がっている。

おかしい、おっさんがいない。

 

この界隈は正統派おっさんの生息地であるはずなのに、ひとりもいない。

f:id:rintohanatan:20191110223730j:plain

天六に隣接する中崎町というエリアがあるが、ここは昔、サラリーマン系おっさんの聖地であったのにいつの間にか隠れ家風カフェだの雑貨屋だの、雑誌「SAVVY」が特集を組むような街に成り下がり、おっさんが消えた。

その波がじわじわと天六まで押し寄せているのであろうか。

 

それはさておき、何を食べるかぶらつきながら決めましょかということで路地裏を散策。

f:id:rintohanatan:20191110224344j:plain

 そうそう、この猥雑な感じ、昔と変わってないやん!

ごちゃごちゃと小汚い店が所狭しと並んでいる。どれどれと中を覗くと、

何と流行りのバル風居酒屋ではないか。

右を見ても左を見ても、中は小洒落たしつらえで若者たちで賑わっている。これじゃおっさんは入りにくかろうな。

 

f:id:rintohanatan:20191110224409j:plain

 

焼肉屋であろうが焼き鳥屋であろうが、

み〜〜んなさりげなく今風に変わっている。

この一見、小汚い風というのがなかなか芸が細かい。

f:id:rintohanatan:20191110224358j:plain

何やら不思議な熱気に包まれてぶらついてるうちに、日本ではないアジアの何処かの空間に迷い込んだような気になってくる。

 

そう言えば商店街も路地裏も、昔は夜も8時になれば閑散としていた。そのうらぶれ感が味わい深かったが、街が元気だったかと言えば話は別だ。

 

街は確かに活気に満ちている。

地べたに座ってバケツに漬け込んだ手作りキムチを売る、韓国人のオバちゃんはもう居ないし、店構えも中もホンマに汚い赤提灯の立ち飲み屋も無くなったけれど。

 

そうか、おっさん達は街を卒業したんやね。

ワシらもう充分遊んだわ。後は任せたで!と、

若者達にバトンを渡したんやろ。

 

街も生き物。新陳代謝を繰り返しながら、

時代に合った形に変わって行く…。

幻のおっさんに想いを馳せながら、

どっぷりとノスタルジックな気分に浸れた

天六散策でありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 



スマホが無くても暮らせるのか?

昨日、やっとAmazonアソシエイトの登録を済ませた!その際お世話になったのは、登録方法を懇切丁寧に説明されていたブログである。
何処のどなたのブログか失念してしまいましたが、ホントに助かりました。
しかし、どんな疑問にもたちどころに答えを教えて貰えるて、なんて便利な世の中やろね。

さて、
週に3日帰る私の実家は、頭にドが3個付くような田舎だ。最寄駅まで20km、市街地までは12km、市街地へのバスは日に4本。
朝バスに乗って、ちょっと用事を済ませたら、
帰りのバスまで4時間待ち(ToT)

こんな田舎で車の免許が無いて、どうよ?

ちょっとイメージがつかめんと仰る都会育ちの方は、「毎日が罰ゲームのような暮らし」てことだけ認識しといて下さい。

で、先日実家に戻った時、スマホの充電用ケーブルを持って帰るのを忘れましてん。バッテリー残量はすでに20%を切ってるし。

ケーブルを売っている一番近い店は、8キロ先のローソン!!もうバスは無いから、自転車を漕ぎ漕ぎ、ちっともコンビニエンスでないローソンへ。

やっとゲットしてやれやれ、と思ってふと我にかえる。え?私そこまでしてスマホ必要?

TwitterもインスタもLINEもしてない。
使ってるのはメールと電話と、最近ダウンロードしたはてなブログのアプリだけ。

ブログを読み漁るのが最近の楽しみではあるが、2〜3日スマホが使えんでも差し支えはまったく無い…
はずやのに、

なんやスマホが使えんとめちゃ寂しい。
(ちなみに実家にはパソコンは無い)

これはブログを始めたことが影響してるんやね。
まだ1カ月も経ってないけれど、
今までは単なる検索ツールだったネットの世界に、
住人として加えてもらったような感覚とでも言いましょうか。

ところで、
人が一生で出会う人のうち、何らかの接点がある人は
3万人らしい。
人生80年とすると、1日に1人出会ってる計算やね。

でもネットでは
その存在すら知らなかった人々に出会うことができる。
毎日、新たに3人の方のブログを読むとして、
10年で1万人以上に出会える。
もちろん顔は見えないし、名前もわからんけど、共感したり、教えられたり、何らかの影響を受けられる。

これって凄いことちゃう?

スマホが無くても暮らせるのか?の私の答えは、
暮らせません!

だって私にとってのスマホは、
行きたい時にいつでも行ける、ネット住民への通行手形やからね。

幸せな仕事とは何だろう

今朝もお天気お姉さん「かやちゃん」の可愛らしい笑顔を観るために、めざましテレビにチャンネルを合わせる。
朝顔を合わせてるもんで、もはや他人とは思えない。

CanCamのスタイリストさんに選んでもらいました❣️」と嬉しそうに紹介されるファッションの
ビミョ〜〜なもっちゃり感も大好きだ。
(大丈夫か?CanCam

「かやちゃん」の笑顔に送られて今日も片道45分かけて出勤する。

今の仕事は別に好きでも嫌いでもない。
これといったストレスもないので、
心をフラットな状態に保てるところはいいかな。

好きな事を仕事にしている人が羨ましいなぁ、
なんてぼんやり考えていた時に、テレビで彼を見た。
なんかのバラエティ番組だったけど、
ゴミ清掃芸人としてゴミの知識を披露されていた。

それから程なくyahoo!ニュースで、インタビュー記事が掲載された。
ゴミ清掃員の日常を綴った『このゴミは収集できません』というエッセイが好評で、発売から2ヶ月で3刷を重ねたそうだ。

ゴミ清掃の仕事というと、どうしても3Kのイメージがつきまとう。
でも彼、マシンガンズ滝沢こと滝沢秀一さんは、
この世界がとっても居心地がいいと言われる。

最初は生活のために仕方なく始められたと思うが、ゴミから世相を読み解くまで仕事に精通されたのは凄いし、
キツイ仕事を笑いに変えるセンスも素敵だ。
どっちが本業かわからんけど、
なんかとっても楽しそう。

つまりこのお人はゴミのプロフェッショナルに
なりはったわけで、そこがめちゃカッコええ。

私事やけど、手持ちの金と年金額から計算し、
仮に平均年齢まで生きるとすると、
最低でも73歳位まで働かなあかん。

もし95歳位まで生きるとなると…。
気が遠くなりそうやから考えんとこ。

今の仕事は65歳で定年やから、その後に就活やけど、
周知の通り高齢者に職業選択の余地はない。
多分、清掃と賄い(皿洗い)の2択やろ。

8年か10年かわからんが、
嫌々やるにはキツ過ぎる年月やん。

滝沢さんみたいに極めることはできんけど、
ちょっとプロ意識みたいな視点は持ってみたい。
誰もがみんな好きを仕事に出来るわけじゃない。けど、どんな世界にもプロフェッショナルはいてるんやなぁ、と改めて考えさせられました。

老いに抗う?受け入れる?

実家の母93歳は病院などで
「お若く見えますね」と言われると嬉しそう。

「お元気」より「お若い」に反応が良い。
お若いといってもまさか10歳も若くは見えんから、
せいぜい5〜6歳であろうが、
93歳が88歳に見られてどれほどの違いがある?

そういう私はもう何年もそっち方面に興味がない。
昔は少しでも若く見られたかったけど
60歳になればもはやどーでもええ。
ていうか、アンチエイジングに費やす
お金も忍耐もないねん。

記憶力も身体能力も、
だんだんと衰えていくのは
これはもう仕方ないことやん。

と、このように自分の老いを
淡々と受け入れて生きていこうと思ってたが、
どうもそれではマズイらしい。

最近は寝る前にいろんなブログを
読み漁るのが習慣化しつつある。
で、昨日も老化をテーマに書かれてる
ブログを探してたら書評をされてる方の
ブログに行き着いた。

取り上げられていたのは、
(『年代別 医学的に正しい生き方 人生の未来予測』
和田秀樹:著)という本。

それによるとなんでも脳の萎縮は
40代から始まるんやて❗️
何の努力もせんと「きれいな脳」の状態を
保てるのは30代が限界やてこの先生は仰ってます。

脳が萎縮すると意欲とか創造性が乏しくなるらしい。
思い当たる事ありまくりなんですけどぉ。

40代の頃、フリーランスで仕事してたんやけど、
担当者との打合せに2〜3回出て、後は納期さえ守れば
ず〜〜と部屋にこもってても全然オッケー。
1週間誰とも喋ってない、なんてこともザラやったし、別に不便とも寂しいとも感じなかった。

あの頃から私の脳は
家主に無断で勝手に萎縮を進めてたんやね。

50代、60代になると今度は感情を抑制しずらくなり(いわゆるキレやすくなる)、
70代、80代で更に萎縮が進むと、
そう、認知症…。

先生は脳の萎縮を食い止めるには、
早いうちからバシバシ刺激を与えなあきません
と仰っている。
また認知症の予防には、
人との会話、コミュニケーションが最も効果的とも。

コミュニケーション能力が決定的に劣っている
おひとり様はどうしたらええんでしょう。

何かおかしな事してても家族が居たら気づいてもらえるけど、独りやとなぁ…。

テレビに話しかける日も、そう遠くないと思うわ。

とりあえず週3日戻る実家で、
93歳母と、もうすぐ2歳ポメ♀との
コミュニケーションに励むことにしましょ。

チコちゃんに叱られたい

今日から11月。今年もあと2カ月。
ホントに年取るごとに時間が早く過ぎる。

毎日目まぐるしく忙しく過ごしてる人より、
ぼ〜〜っとしてる人の方が
時間の経過をより一層早く感じるらしい。
(何か損してる?)

20代の頃は就職して、転職して、独立して、
イベントがいっぱいやから
過ごした時間が濃密で、記憶も鮮明にある。

30代も好きな仕事に就けて、
しんどいこともあったけど
概ね充実してて、生活にもハリがあった。

けど、どういう訳か40代から50代の記憶が、
ほとんど残ってなくて、
(半分引きこもりみたいなお仕事やったからやろか?)
感覚としては35歳辺りから
いきなり60歳になりましたみたいな、
まるでSFの世界におるみたい。

結局、結婚もしてへんから子孫も残さず、
フリーランスの仕事も廃業したから、
何一つ誇れるもんがないまま
60歳になってしまいました(o_o)


シュンペーターさんたらいう経済学者が
「30歳にして何事も成し得なかったものは、これからも何事も成し得ない」てな事を宣ったらしい。
エラい上から目線の物言いやな💢

昔は何事か成し得る人って、
感銘を与える芸術家とか、
社会的貢献度の高い仕事に就いてる人とか、
特別な才能を持ってる人やったような気がする。

でも今の時代はYouTuberとか、bloggerとか
自分の好きな事を表現手段として、
情報を発信できるから
誰もが「何かを成し得る人」に、
なろうと思えばなれる。年齢に関係なくね。

で、話は冒頭に飛ぶんやけどね、
このままやったら
60代の記憶も残らんようになって、
認知症へと一直線になりそうやん?

哲学やないけど、人生とは何かて考えたら
人の数だけ答えはあるけど、
「人生とは記憶の積み重ね」という考えも
一面を言い表していると思う。

さまざまな感情に心が動いていた
子供時代と違い、大人の、しかも高齢者の毎日は
そうそう印象に残る出来事はない。
だから意図的に記憶に残る日を
作っていく事が大事になってくる。

そういう意味では
今日はどんな事考えたとか、
どこに行ったとか、
ブログを書くのはものすごく効果的かも。

ビュンビュンと凄い速さで
去っていく時間をちょっとでも緩くしたい。
10年後に振り返った時、
空っぽの10年にしたくない。

つまり、「ぼーと生きてんじゃねーよ!」ってことやね。