『自意識過剰』〜書評のようなもの〜

生まれ変われるなら、
ナルシストがいいなぁ、私。
だって楽しそうやん。
自分が大好きで、他者の目は一切気にならなくて、
自分だけで世界が完結してる。

鏡を見て一日幸せに過ごせるから安上がりやし、
街を歩けばショーウィンドウに映る
己の姿にうっとりできる。


他人が気にならないて、ほんまに自由やね。


若い頃は、いったい自分は人からどんな風に見られているのか、もう気になって気になって仕方なかった。

仕事関係の人からちょっと挨拶を交わす相手、すれ違いに目があった人まで、他者の視線にがんじがらめになってたような気がする。


よく「誰もお前のことなんか見てねえよ!」と言うけれど、それは違うと思う。

人は3〜5秒で視覚から様々な情報を得るらしい。

そう、5秒もあればこれくらいのことは読み取れる。


「若作りしてるけど、結構歳食ってるよね。手とかシワっぽいもん、なんかネイルがゴージャスやから余計目立つねん、あ、その服、体型カバーしてるつもりやろけど逆効果や、てゆうかそのコーデ、ありえんし。化粧もナチュラルぽい仕上げやけど、ちょっと不自然、優しそうに笑ってますけど口元イジワルそうやし、こいつ絶対性格悪いわ」


あ〜〜ホンマに自意識過剰は厄介!

そんなアホらしくも深刻な自意識の正体を鋭く分析しているのが、
酒井順子著『自意識過剰!』です。

『負け犬の遠吠え』が社会論争になるまで大ヒットしたけど、本書は著者がまだ27歳の時の作品である。

礼儀正しいデスマス調で、優しい文体なのに、
物凄い洞察力とイジワルな視点で、読み手をドキッとさせてくれる。
27歳の若さでこの分析力は恐ろしいくらいだ。

本書では自意識を、近くの視点・異性の視点・社会の視点・世界の視点から分析している。

私たちは誰も多かれ少なくれ自意識を持っている。普通はその分量を上手く調節し、他人に悟られないように生きているのであるが、油断をすると自意識が溢れて他人の目に晒されることになる。

若い頃の私もそうだったが、
自意識が最も過剰になるのは異性の目を意識した時ではないだろうか。

本書の異性の視点の中の「女を見る女」は特に興味深い。
男性におもねるが故の自意識過剰女は、なぜこれほどイラッとくるのか。

一例として紹介されているのが、
若い世代には馴染みはないだろうが、
安田成美が演じたお醤油のCMである。

「ねえ、薔薇って漢字書ける?私書けるんだよ」と無邪気に夫に自慢する可愛い妻。
比較的最近のCMで言うなら、
金麦の檀れいが近い。

言葉のチョイス、しぐさ、表情、声のトーン、その全てが夫(男)の目を意識し、
私って可愛いよねアピールである自意識がダダ漏れの女に対して、普通の女は容赦しない。

そのあざとさにムカつくのだが、
実はその感情は自分自身の自意識の裏返しであると著者は言っている。

つまり、
あんたみたいに可愛いかったら私だって男に媚びたいねん!
でもそれができひんから
私は女をアピールしないで自然体で生きていますみたいなフリせんとあかんねん!
と言うわけだ。

もちろん、この自然体も正真正銘の自意識過剰である。


自意識がなければもっとのびのびと生きられるのに、
自意識のお陰で嫉妬したり落ち込んだりと忙しい。

では、

他人にどう思われようが全く気にならない、
自分にしか興味がないナルシスト以外は、
自意識の呪縛から逃れられないのか、
というとそうでもなく、

私の場合はやっとこの年齢になって
自意識が薄れてきたように感じる。

もはや異性に媚びる必要もないし、
他人の目より自分の気持ちの方を優先できるようになった。

これがオバちゃん化ということであろうか。

そういえば大阪のオバちゃんも
自意識が薄いような気がする。
でないとパンチパーマにヒョウ柄の服なんかで街を歩けませんやろ。

着たい服を着る、言いたいことを言う、したいことをするけど、何か?
みたいな生き方は自由でええなと思う反面、
ある程度の自意識はストッパーの役目も果たしてるねんなと思うこの頃です。





自意識過剰! (集英社文庫)

自意識過剰! (集英社文庫)